感想文

今日、とあるアーティストの本を買いました。
理由は、ファンである以上に、彼の『言葉』をずっと聞けなかった不信感からです。
とある一件から、本人自体を疑ってしまったり、曲の趣向も変わってしまったり、正直な所、ファンでありながらこの二年間ずっともやもやしていた気持ちがやっと晴れた気がした。
復帰後に出したアルバムは正直な所、宗教観、人生論のような「生きるってこんなもんさ」みたいな感じで綴られていて、今までお得意のドキッとしたり温かみのあるラブソング感じさせる描写とは一転し、ファンを含め自分も戸惑ってしまっていた。特に復帰一枚目はかなり聴いていてちくちくした。意識しないでおこうと思っても、あの件を意識してしまう自分も嫌だった。
「ごめんなさい」の代わりに「自分の中の余分な物が削ぎ落とされた」のコメントの意味。泥水が浄化されていくような、アーティストとしての洗練なのかと考えさせられた。読んだ後で曲を聴いて、その曲や詩はやっぱり彼は彼って事が認識出来ました。二枚目は一枚目の世界にも花が咲いて救われていくって感じで彼に戻ったという感じです。本人曰く泥水に浄水を足していく感じで。
そして、彼自身も昔歌っていた「大事なのは変わっていく事、変わらずにいる事」、音楽活動を何年も続ける上で大切だと思う。
よくSM○Pの誰かさんと比較されて、「あのように堂々と平たく謝って復帰するのが常識だろう!」て言われるけど、それもまた人それぞれで彼らしいと思う。事件があったからと言ってぺこぺこしながらずっと音楽活動を続けるのは少しずれているだろうし、弁護士の作った「ごめんなさい」の一言で歌が良くなったり、ファンが戻ってくらいならば大した事ないものだと思う。そりゃ言った方が丸く収まっていたかもしれないけれど、大きく「反省しました」って言いまわして「解決した」って扱われるのは何か違うと思う。
本人も言っているとおりあの一件で「笑ってしまうくらい失うものより得るものが多かった」というコメントの通り、うやむやしてた音楽活動・人生として見直されたと思う。事件は悪い事だったけれど、だからと言ってその前後の人生も含めて否定しまうのは違うだろうし、人間って大かれ少なかれ痛い目見て初めて気付く事ばかりだし、それが成長だと思う。かなり誤解のある言い方をすれば、彼の人生での良い色付け・アクセントだろうと思う。
何かこの本を読んで沈んでしまっていた期待が膨らんでとてもよかったと思います。
…何かかなり一人よがった日記になってスイマセン、、、。