お通夜

今日は下津の父親が亡くなったので急遽お通夜に行く事になりました。
先導したワゴンRが渋滞を避けようとわけのわからない道を通ったので結果的にかなり遅く津幡駅に着いたようにも思えます…。でも途中から別で動いて何で同じくらいの時間に着いたのか今だに不思議です…経路が…。
話題が通夜と言う事なのでいつものようなノリで日記を書く事は出来ないので内容はあしからず、述べません…。
それはそうと、僕はこういう場は去年の12月の自分の祖父の時以来です。葬式では毎度のごとく僕は考えてしまうんだけれど、感情的になれないんです。今回の件、そりゃ下津の父親はまだ若いし、遺族の顔を見たり、残された家族の事を考えるとお気の毒に…とかはもちろん思います。とはいってもそんなにブルーになってません(下津さんゴメン)。それはやっぱ所詮他人事だっていう意識からでしょうか。しかし自分の祖父や祖母が亡くなった時はやっぱり悲しくなるのかな?と以前思ってたけど、涙が出ませんでした。なぜでしょう?それくらいまでになると寿命だからと思っての事?いくら昔遊んでもらった事あっても、最近全然会ってなくて亡くなったから実感が湧かない?って事なんでしょうか。
今回のお通夜も↓津と関係の深いよっちゃんが神妙になっているのはよくわかります。そりゃ自分の好きな人の親が亡くなってるし、彼女自身も悲しんでいるし。
でも涙を流していたちえちゃんやブルーになっていた前川とかを見ていると、他人の事なのにこれだけ感情的になれる人が何か素敵だと思うし、そうじゃないドライな自分が凄く嫌だったりします。これってやっぱ物事を現実的に考えてしまいがちな性格からだろうか??なんか寂しいですね…別に自分は涙が出ない人間というわけではないのですが…。
自分の彼女の親類の不幸があった時はどう思うんだろうか、自分の家族に不幸があった場合はどう感じるんだろうか?とかって凄く不謹慎な事をやはり考えてしまいました…う〜ん(悩)
それとあと、今回大慈弥は陸上部の同学年の人って事で参加した(んだよね??)けど、そうじゃなかったら通夜に行く事は出来たのかな?あ、いや行こうと思えば行けるけどさっそういう問題じゃないじゃん、何か。待ち時間中彼を見て僕はずっとそんな事を考えてしまいました。やはり先を考えている彼にとってこゆ事は大事な事だろうと思います。まぁ本人はどうなのかは知らんけど。
…何か今回の日記は問題発言ぽいものが多い?まぁいいや…。